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熊について

古来、私達にとって最も大きくて恐ろしい獣である「熊」は同時に一番の獲物でもありました。本州、四国、九州(絶滅)にはツキノワグマ、北海道にはヒグマがそれぞれ分布しています。大陸と地続きだった時代に私たちは熊を追って日本にやって来たとも考えられています。古代より熊を追って来た私たちは熊の呼称も多く、東北のマタギはシシ、イタチ、イタズ、ナビレ、クロゲ、ヤマ ノオヤジと呼び、北海道のアイヌは熊を山の神を意味するキムンカムイと呼びました。各地域に多くの伝承や物語があり、命を奪えば丁重に祈り深く感謝をしました。このような熊への崇重は北方 ユーラシアから北アメリカまで広範囲に見られます。インディアンはシャーマニズムと強く結びつけ熊は彼らの病気を癒すとも信じられました。現在では遺伝子上人間に近い動物は猿だと明らかに されていますが、猿のいない北半球では二本足で立ち人間に匹敵する大きさの熊を自分達に近い存在と信じ「親父」、「叔父さん」、「従兄弟」、「酋長の息子」、「毛皮をまとった父」などと呼 びました。このように私達人間は熊を追い彼らの命を奪いながら、一方で神として畏れ崇めて来ました。しかしこれらは全て人間の片思いのようなもので、本来熊には何の関係もないことかも知れ ません。現在熊は絶滅の危機に瀕し、里に降りてくる熊は人を襲ったり田畑を荒らす「有害動物」として捕獲され命を奪われています。

昨年私は熊をテーマに個展を開きました。するとなぜ熊なのかと度々皆さんに訊かれますので、ここにその理由を記したいと思います。私は昨年から突如として熊のことが気にかかり彼らのことを 頻繁に考えるようになりました。しかし思い出してみますと私が熊に興味をもった発端は、たまたま「子路(しろ)」という熊の異称を知った時のことだったように思われます。陶淵明による六朝時代の志怪小説集「捜神後記(続捜神記)」の中に、「熊無穴有居大樹孔中者 東土呼熊子路」という記述があり、また江戸時代の獣肉屋でも子路と書いて「くま」と読ませていたことを知りまし た(寺門静軒著「江戸繁盛記」)。論語に詳しい方はご存知と思いますが、子路とは孔門十哲の一人仲由のことで、子路という異称の由来は、熊が住処とした樹の「孔」と孔子の「孔」をもじった 言葉遊びからの洒落です。子路のことなら中島敦の小説「弟子」(昭和十八年発表)で主人公として描かれており、私はこの小説を幾度と読み感動しています。子路は子供がそのまま大人になった 様な直情径行な性格から度々孔子に叱られます。激越でしかし素直な子路はまこと獣のように美しく、これを読むと熊と子路を結びつけた人の気持ちが腹に落ちるように理解できます。物語の最後、子路は主君を救う為に反逆者のいる広庭へと単身跳び込み、気高くも無残に殺されてしまいます。孔門の後輩、子羔と共にその場から遁れることも出来た子路が子羔に声を荒げた「何の為に難を 避ける?」という言葉が私の心の中で何度も反復されました。「何の為に難を避ける?」。里に現れる熊は一体どのような気持ちで里に降りて行くのだろう。私の中でその熊と子路の姿が妙に重な り始めました。日常生活でも植木を熊と見間違えたり、車のヘッドライトの影に熊を見たり、空に浮かぶ雲を見て熊を思ったり、実際に会えないかと山へ行ってみたり、北海道を旅したりと熊の痕 跡をっています。結局のところ私はなぜ熊なのかと自分でも判らないまま熊を心に宿してしまったのです。

上出惠悟 平成二十八年三月二日 渋谷のホテルにて

参考文献
「中島敦全集 第一巻」中島敦/筑摩書房
「江戸繁盛記」寺門静軒/東洋文庫
「熊 人類との「共存」の歴史」ベルント・ブルンナー/白水社
「ものと人類の文化史 熊」赤羽正春/法政大学出版局
「クマとアメリカ・インディアンの暮らし」デイヴィット・ロックウェル/どうぶつ社
「クマを追う」米田一彦/どうぶつ社

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