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上出惠悟の新作《静物》を見るために  中井康之/国立国際美術館 副館長

芸術表現の根本原理は模倣(ミメーシス)であった。プラトンが主著『国家』で説いたその論理は、プラトン自身は否定的なものとして取り上げたものであったが、人類が誕生し、何らかの形象を模倣して表現した先史時代の洞窟壁画から始まり、写真術が誕生した19世紀中頃まで、芸術表現の中心をなす術として厳然と存在してきた。おそらくは我々の祖先としてのホモ・サピエンス種はそのような、目に映る事象を形象化することに喜びを感じるDNAの因子を持ち、彼らはその種(タネ)のようなものを永い時間を掛けて醸成してきた側面があるのだろう。例えば、比較的人類に近い DNAを持つ類人猿が、抽象的な描写表現を行ったという話を聞いたことはあるが、目前の事物をそのまま写し取るような行動をとったという話を聞いたことはない。模倣とは、事ほど左様に、我々人類にのみ許された、高度な技術を必要とする描写技法なのである。 しかしながら、既述した写真術の登場と時を重ねるかのように、いわゆる「神の死」によって表現者たちは、重要な表現主題及び絵画・彫刻など の表現媒体の依頼主を同時に失うことになる。また、「神の死」を宣言したニーチェの論理に従うならば、キリスト教は弱者が虚構した世界解釈であり、みずからを維持するために必要な世界解釈が再度必要となったのである。そのニーチェの論理を先取りするかのように、以降の美術の歴史は、芸術制作に関わる最大のパトロンであった宗教、特にキリスト教の教義から自由となる。それでも当初は模倣衝動に拠る作品が大半を占めていたが、表現を規定してきた厳密な教義から解き放されることによって、いつしか表現者たちは奔放とも言える自由な表現を求め、遂には「オリジナリティ」という新しい神話に惑わされることになる。その結果として、「模倣(イミテーション)」の論理は、美術作品を生み出す論理としては相対的に低い位置に遇されることになる。このような現象は、ニーチェが説いてきたように、必然であるとはいえ、表現者たちはより一層過重な十字架を背負わされることになったと言えるだろう。

20世紀以降に起こった美術史上のパラダイム転換は、よく知られている。現象としては、1917年にニューヨークで開催された独立芸術家協会主 催の展覧会に出品された、その縁に「R.Mutt 1917」と署名された、小便器が《泉》と題されて出品されたことに起因する。どのような作品でも受け入れるという同協会の方針に反して、その作品は受理されなかった。その顛末を、後にマルセル・デュシャンは雑誌に投稿している。「マット氏が自らの手で泉を作ったか否かはどうでもよい。マット氏はそれを選んだ。マット氏はありふれた生活用具を取り上げ、新しいタイトルと見方の下で、有用性という意味合いが消えるように仕向け、この物体(オブジェクト)についての新しい考え方を創り出した。」* デュシャンは、クールベ以降の「網膜的アート」を嫌悪していた。そのことは、本エッセイ前半で記してきた内容と相反するように感じられるかもしれないが、そうではない。クールベ以前の芸術は、視覚的な表現は外界を写し取ったものであったが、それら過去の芸術の多くは宗教の教義を表すことが第一義であり、純粋な絵画の効果はそれに付随するものに過ぎなかった(筈である)。 このデュシャンの既製品を用いた「レディメイド」という方法は、美術界に新たな模倣芸術の出現を促した。1964年、ニューヨークのステーブル・ ギャラリーでブリロ、ケロッグ、デルモンテといった大量生産された消費物が詰まったカートン・ボックスとしての作品が整然と積み重ねられていたのである。あの有名な《32個のキャンベルのスープ缶》を発表し、一夜にしてポップ・アーティストとして知られるようになったウォーホルが2年後に同じギャラリーで発表した作品《ブリロ・ボックス》等である。それらの作品は、大量生産されたカートン・ボックスを寸分違わずに木工所で制作し、その表面をシルクスクリーンで加工したものであった。大量生産された消費物を模倣した立体物がなぜ美術史に名を連ねる芸術作品となったのかは、その精密な模倣によるものでは当然ない。強いていえば、ニューヨークの一流の画廊に展示されたからである。ここまではデュシャンの《泉》と違うところはないだろう。ウォーホルは、デュシャンが見出した舞台と同様の装置を用いることによって、大衆社会に流布するイメージを模倣して再生産し、ファインアーツへと昇華したところにある。

さて、今回の上出惠悟の新作《静物》である。その磁器の口が塞がれた姿を見いだした時、思わず驚愕した。それを見て思い起こしたのは、ジャスパー・ ジョーンズ の 《塗られたブロンズ》( 1960 )であった。当時、アメリカで普通に流通していた缶ビール (バランタイン・エール) をそのまま銅 で鋳造し、その缶ビールの意匠を油彩で丁寧に再現した作品である。2つの再現された缶が並んだその作品は、一方は缶上部が開けられ、もう一方は封印されたままとなっている。実は封印された方は中身が詰まっていて、缶上部が開けられた作品は中が空洞になっている。ジャスパーは、星条旗をそのままカンヴァスに描いて作品とすることによって知られることになった作家だが、ビール缶を彫刻としたことでも知られている。缶が開けられたものと閉じたものの組み合わせになっていることについて、文学的ともいえる論考を数多く見いだすことができるのであるが、ジャスパーは、塊としての彫刻と中が空洞となっている彫刻を(容器としての機能まで含めて考えていたのであろうか?)用意したかったのだろう。重要な点は、 日常と芸術の結びつきを限りなく近付けようとしたその観点にあるだろう。いうまでもなくウォーホルもジャスパーもデュシャンの「レディメイド」作品の嫡子なのである。 上出の今回の新作は、焼き物という日本の伝統工芸を、彫刻という純粋芸術の領域で登場させることを考えたものである。外面的な形象は自らが 経営する上出長右衛門窯で生産されている焼き物たちそのままに、中を陶土で詰めて焼き上げた。かつてオブジェ焼きと称し、茶碗の用途を外すことによって工芸と美術の垣根を取り払おうとした動きがあった。上出はその様な搦め手ではなく、20世紀美術が辿ってきた道を踏まえながら、真正面から彫刻という領域に挑んでいる。焼き物の空洞部分を陶土で埋め尽くして焼き上げたものが彫刻になるのか、という問いが当然出てくるだろう。それを理解してもらう為に、20世紀前半のニューヨークに於ける芸術的変革の歴史を素描してきた。勿論、上出が今回の新作を最初に発表したのは、陶芸の展覧会であり、上出のラディカルとも言える方法論が、そのまま理解される場所では無かった。しかしながら、伝統工芸の延長線上に生み出された技術的に卓越した現代工芸と同じ場所に登場することによって、ある意味、上出の新しい作品の価値が試される機会ともなった。上出がこれから取り組まなければならない課題は数多い。しかしながら、その様な困難を経ることによって、上出自身が目指すべき遥か遠方の世界を臨む地点に立つ事が叶うことになるのである。

* アーサー・C・ダント(佐藤一進訳)「アートとは何か」人文書院 2018 38 頁

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